詩集

「死んでしまう系のぼくらに」を買いました。
最初ちょろっとだけ読みました。
ふだん、ツイッターでいつも最果さんの詩を読んでいるのだけど、ツイッターで読むのと、本になって手でめくって読むのでは、全くちがうように感じた。
ツイッターでは、見る、ってかんじで
本になって、初めて 読む、ってかんじがした。
ツイッターでも同じ文章を読んでいるはずなんだけど。それで、すきって思ったはずなんだけど、それは同じではなかった。不思議だ。
支持体の力を感じた。
それを感じてしまうと、職業柄(?)、デザインとしての良さのことが一瞬脳裏をよぎっていやになる。
そんなことを考えずに物に触れていたい。知らずに考えずに触れたときにしか、自分の本当の感情は生まれないのだと思う。
でも、表紙がイケてるので、買う決め手になったのも事実だな。普通に、消費者でいたいな。えらそうに、これはこうだから良いとか、悪いとか、そういうのもういいんだよ。
美大とか芸大とかにいると、そういう話ばっかりでうんざりしてくる。普段の生活に支障が出るレベル。あなたの、わたしの、すきときらいだけ聞きたい。

話が逸れた。

最初の、5こくらいまでしか読んでないのだけど、あまりに身に覚えがあることが書かれていて、気軽に読めない。(ツイッターでは気軽に、リツイートもお気に入りもできた)
だから、一回休憩。

誰にも言いたくない愛が書かれているような気がした。こんなふうに、人を想っていたな、って、共感した。
でもそれはグロテスクだから誰にも言わなかったのに。どこのだれか、知らない人にバレていた。
もしかしたら、人間はみんなそうなのかもしれない。
みんなが、誰にも言わないから、お互いが同じだって知らないのかもしれない。
もしそうだとしたら、誰のことも愛せるような気がしてくる。
(どこかでそれは全くの間違いだと気づかされて、それなのにまた夢を見て、を23年間繰り返している。)

誰のことも愛せるというのは、同時に誰も愛していないということだ。
神様気取ってる。
そんな自分に気付いたとき、毎回傷付く。
結局消えたいってことでしょう。わたし